b l o g

Pear Flower Park in Oyodo / RIKAEN(大淀町)

今年2度目の大淀町です♩
I have been to Oyodo town twice this year. Now it’s time to see the full bloom of pear flower.
 
美しい梨の花を育てていらっしゃる、RIKAENさんへ梨の花を見に行きました。このあたりは町の中でも西側に位置しています。ちょうど桜と開花がおなじで、真っ白の花が咲いていました。

大阿太高原は標高150-250m、奈良の梨の生産量は全国の1%にも満たないとのことですが、花のためだけに育てているのはここぐらいだそうです。(実はできた瞬間に取ってしまい、花を優先させています。)

歴史書を見てみると、大淀町には特筆する美術品や見どころは少ない、と記載がありました。(産物として楮や茶、薬草類は有名だったみたいです。)

でも地図を見るとここは、中央構造線のほぼ上に位置している気がします。

大阿太高原から吉野川方面を臨む静かな山野は、過去の複雑な地殻変動の上に成り立っているのかもしれません。そう思うと自分の立っている土地が生きている気がして前回とは景色も異なって見えました。

referring to an old history book of Oyodo, I found that there is little art collections and sight seeing spots in it. But the map shows Oyodo could be  situated along the Median Tectonic Line and and this calm fields and mountains would contain the intricate movements from ancient times.

鮮新世に構造線の東西に淡水湖が出来た際、それは次第に埋められ(大淀累層)のちに古吉野川となりました。この川は今の吉野川より少し北にあって、断層運動に伴い南下し、今の吉野川になったようです。(断層運動により北側が上昇したということ)

In the Pliocene epoch the small freshwater lake was born and it finally reached to the West area. It was gradually covered up with sediments and turned into a river which is called Ko(old) 


ビルが写り込まないのが嬉しい。

帰る間際に、スケッチ用にと、つぼみ付きの枝を分けてくださいました!

体調がすこぶる悪くここまで来るのが辛かったですが、家に梨の花が挿さってるだけで良い感じです。

御所市 / Gose city

Gose is a small provincial city in a rather rural part of Nara prefecture. It is close to Mt. Kongo and Mt. Katsuragi has the smallest population in the prefecture. 

御所といえば、葛城氏や巨勢氏・鴨氏といった古代豪族がいた場所です。山手の方の自然を見に行く前に、ぜひ訪れて勉強したいと思っていました。

今回、たった4時間で 御所市内(掖上の道~巨勢の道~秋津洲の道)を巡るバスに幸運にも乗せて頂けることになり、主要なスポットを一気に見ることができました。こんなに素敵な、市制60周年イベントに巡り会えたのは幸運です。

I stopped by some places being guided, and one of the places was this mausoleum which is called Yamato Takeru’s Shiratorinomisasagi. 

Yamato Takeru was a Japanese legendary prince, a son of the 12th emperor Emperor Keikō.

According to the legend, He is said to have died in Kameyama city of Mie prefecture and was turned into a white bird and stopped by this place to have a rest. Is this the scenery he would have seen then? It was also nice to see the trees in bloom around there be well-kept by local people.

伊勢での戦いで傷を負い崩じられる前に、かの有名な”やまとは国のまほろば…”と歌い、白鳥となった日本武尊はここに寄りました。この御陵は宮内庁管理となっています。周囲のおうちのお庭の木々はどこも綺麗に手入れされていて、いい雰囲気でした。

神武天皇即位の場にも行きました。橿原が正式な場所とされていますが、こちらの鎮守を支持する説も強いようです。(気になる方は本居宣長、もしくは白洲正子さんで調べてみてください。)御所には神武天皇が国を作るにあたり、国見をしたとされる山もあります。このあたりは淡路島の有名な神社と同じ緯度と聞きました。気になって同時期のもっと西の、中国の王朝の位置も調べてみると、同じ緯度でした。

the first Emperor of Japan ascended the throne at the head of local clans B.C.660. The dynasty in China then was Zhou whose capital city was Luoyi. T he place the emperor decided to establish a country and Luoyi are at the same north latitude. 

神武天皇の即位は紀元前660年。その頃の中国の王朝は周(東周)。その時の首都、洛邑の緯度とほぼ同じ北緯34度。

国づくりをするのに良い緯度なんでしょうか?もし何かご存知の方がいらっしゃいましたらお手数ですが教えて頂きたいです。→

Is north latitude 34degrees suitable for running a country ? Let me know if you have any clue to the question. →

水泥南古墳。巨勢は椿の名所ですので、ここも見事な椿の木にあります。中に入ると意外に広く、頭がスッキリします。わかりづらいですが、石棺手前に蓮文様が見えます。仏教文化がこの頃すでに入ってきていたということでしょうか。

行く先々で食べ物飲み物をご馳走になり、いろいろお話しも聞け、楽しかったです。
何か大切なことを凝縮したような土地だと感じました。また5月に今度は固有の植物を見に訪れます。さらに印象が変わる気がしています。

日本語を見れば神道に通じる / If you trace back Japanese words, you would reach out to something about Shinto.

 

『とし』の語源は 穀物、特に稲、そしてその実りであるということ。

年に一度の稲の実りは、古代の人々にとれば最重要で、生活がかかっている。お米が切れてもパン、麺etc. がある今の感覚とは違うわけで、、、

だから漢字が日本へ入ってきたとき、昔の人は『とし』に”稔る”という字を当てたそう。

a prayer service for good crops is called “祈年祭 Kinensai” in Japanese and each character stands for “pray, year, service”. 

”としごいの祭り”とか、”祈年祭”とか、春によく見かける『とし』の付く行事が、一年の多幸を願うというより、稲作の豊穣を願うものであるという事の理由が、この語源のおかげでやっとわかりました。

Why does it include “year”? Because the annual amount of rice harvest was more important than all the others. It has an huge effect on people’s lives. So we assigned the Chinese character 稔 ,means rice ripening, to “a year, Toshi in Japanese”. 
”お年玉”も、金銭になったのは最近で、それまでは餅だったそうで、お米に困らないよう、年の初めに切実な願いとして配られていたと考えられます。今、そんな本気の願いをこめて、こどもにお年玉を渡すことはないことを思うと、豊かな時代に生きていることがわかります。

I learned this old idea from the shrine which is called Katsuragimitoshi. It was such a loverly shrine on the hill with the fresh air. I won’t forget this vibe which this site has given off since ancient times.

葛城御歳神社がこのアイディアを教えてくれました。この場所は、教えてもらわなければ、100%素通りしていたと思いますが、訪れた人達が皆一同に空気がいいと認めるほど良い場所で、訪れる価値があると感じました。

こうやって情報発信してくれるのは、勉強になります。いくら想いがあっても、発信しなければ やっぱり伝わりません。

よく見かける ‘歳神’も、つまりは稲の神様と思えば、身近に感じられるようになりました。

この神社のふもとで馬酔木が咲いていました。花卉は、米粒なみに小さい花です。花屋に並んでいる花々と比べると明らかに地味でした。でもどう見たって可愛いので可愛く描いているところです。

お水取り / the Buddhist ritual called Omizutori

今月は東大寺のお水取りでした。
別名 修二会(しゅにえ)


In Japan a prayer service for good crops was more significant than any other services since we have been farming. Syuni-e is a Buddhist ritual that has its root with the service. 

The most famous one is held at the Nigatsudo hall of Todaiji temple in Nara and is called Omizutori. The ritual was first conducted in 752 and thus has a long history over 1,260 year in length. 

During the ritual the secluded monks recite the sacred name before Juichimen Kannon and repent their transgression and pray for the peace and avoiding calamities.
I witnessed it at night a long time ago, the highlight of the ritual which is called “Otaimatsu’, the large torches was being carried by the monks. 

農耕を行う日本では年の初めに豊作や、災いを遠ざけることを祈る祈年祭(としごいまつり)が重要視されてきたようです。養老令(古代の法令)にも記載があり、8世紀には国の重要行事とされていました。修二会はその祈年祭に対応した仏教式の行事とのことです。

○修(shu)=conduct 
○二(ni)=the second month (according to the old calendar)
○会(e)=assembly


燃やされる前のお松明。
torches before its getting burnt

焦げたたいまつ香りはすごく強い。休憩所でたまたまわけていただきました。半紙に巻けないくらい短いので、容器にいれてます。
I got a wisp of burnt torches whish is said that it brings peace and avoid calamities.

お水取りが行なわれる二月堂に入ると、昼間はこんなに見晴らしが良いです。ここからお堂の裏~奥の休憩所の空気はとても良い気がします。
In the daytime you can enjoy the nice view from Nigatsu-do hall and the air around it is quite nice and refreshing.

都市での生活は、神経を過敏にはしてくれるけど、感性を敏感にはしてくれないということがわかってきました。両方の間を行ったり来たりしながらバランスを模索しています。両者間をつなぐための一番手軽な方法は、その時の自分にとって、しっくりくるジャンルの本を読むことのような気がします。

 

不退寺 / Futai temple

JR関西本線奈良駅から北に歩いて15分。お寺というより、住居という雰囲気の不退寺です。元は隠棲用の御所だったからとのことです。お正月の間に訪れたのでひっそりしていましたが、普段はレンギョウなど花の名所として知られています。

It takes 15 minutes to get to Futai temple on foot. Its building is not so much a temple as a residence for the aristocracy. In fact it was  built by an abdicated emperor and one of his sons, Narihira Ariwarano, lived there.



There’s a statue said that it was made by him and I thought its silhouette is stunning. I could easily imagine how it had looked beautiful before it discolored. 

本堂に在原業平作とされる木造聖観世音菩薩立像があります。うしろにリボンのようなものがついた、外郭がとても綺麗な像です。



近くに有名なくるみの木、東には非日常的と話題のスタバがあるので、色々回りたい人は駅でレンタサイクルを借りて回るのがよいかと思います。この門の前が駐輪所です。


こちらの歌碑のほか、学生の頃学んだ記憶のある「ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれないに水くくるとは」の歌碑もありました。

竜田川は勝手に遠い場所と思いこんでいましたが、奈良県生駒郡斑鳩町にある川だったんですね。とりあえず、教科書で学んだ有名な歌にここで出会えるなんて嬉しい。

He was also good at composing waka poems and I remember some of his poems I learned at junior high school or high school. Some of them are beautifully engraved in the steles.